てがみ屋で「ナガサキレタートリップ」を作る際に
「軍艦島」もデザインしていただきました。(デザイナー:山口なみさん)
そんな経緯もあり、いつか上陸したいなぁと思っていました。
今回乗船させていただいた船は「やまさ海運」様の軍艦島クルーズ船。
やまさ海運様以外も5社ほどクルーズ船の会社がございます。
まずは軍艦島に着くまでの長崎港の様子。
出航してすぐ近づいてくるのが
ジャイアント・カンチレバークレーン
三菱重工で今も稼働している「世界遺産」です。
(こちらもナガサキレタートリップの中にあります。デザイン:中村圭太さん)
しばらく走っていると
緑の建物と建物の間の海面上に小さく緑色の塀のようなものが見えます。
第三船渠こちらも「世界遺産」
クレーンと同じく、今現在も使われている稼働遺産です。
女神大橋の下を通って進みます。
女神大橋は大型観光客船が航行できるように高さが海面から65mの場所にあります。
女神大橋を通り過ぎると右手に見えるのが
「神の島教会」とマリア様。
神の島は隠れキリシタンの島でもあったのですが
神の島の手前にあるこちらの島
おにぎりのような形。
可愛らしい無人島ですが、隠れキリシタンの処刑場所として
利用されていたらしい・・・です。
途中、伊王島⇒伊王島大橋をくぐりぬけ
しばらくすると高島が見えてきます。
高島は軍艦島よりも前に石炭が採掘され、
グラバーと佐賀藩(鍋島藩)が共同で開発しておりました。
しかし多額の借金を抱え、グラバーから後藤象二郎に経営が変わります。
その後、後藤も経営に失敗し、岩﨑弥太郎(三菱)が鍋島藩より10円で購入します。
何だか「龍馬伝」の登場人物が沢山出てくる島ですね~。
高島のすぐ隣!
見えてきました軍艦島~。(世界遺産)
ドルフィン桟橋(左手下)から上陸です!
現在、ドルフィン桟橋から左手に伸びるコースのみ
見学できるように整備されております。
第1見学広場からの景色↓
画像真ん中にある、 H型の残骸は「ベルトコンベアー」跡
奥右手の建物は小中学校跡。
第2見学広場からの景色↓
この煉瓦の建物は総合事務所でした。
実はこの煉瓦の後ろはもう崩れていて、この壁も鉄の棒で後ろから支えてありました。
いずれ崩れてしまうのでしょうね・・・
山の上に建っている無人灯台は、軍艦島から人がいなくなった後、建てられたもの。
第3見学広場からの景色↓
右手に見える大きな建物は30号棟(鉱員の住宅)
こちらは日本で最初に建てられた「鉄筋コンクリート造り」の建物。
口の字型、7階建てです。
その左手白っぽい建物は31号棟。こちらも鉱員の社宅。
30号、31号の間から少しだけ見える建物は25号棟。
こちらは職員の住宅です。
えっとこの鉱員と職員の違いは分かりますか?
つまり三菱の社員と実際に炭鉱を掘る鉱員の違いです。
職員の住む、25号棟が他の建物に隠れるように建っているのには訳がありまして
パンフレットから抜粋し、文字を足しました。
外側にある建物はほとんどが鉱員の住宅です。
自然災害を受けるのは外側の建物という訳です。。
真ん中の建物8号棟。
こちらは幹部職員の住む家。
唯一内風呂が付いていたアパートだそう!
何だか、社会の縮図を見ているようで、頭が痛くなってきた・・・(汗)
最後に2周島の周りを周遊してくれました。
桟橋と逆側の軍艦島です。
私が今回一番驚いたのが↓
こちらは軍艦島より2.5kmほど離れた瀬が三つの写真。通称「三瀬」
実際石炭はこの三瀬の下で採れていたという事実!!!
つまり、軍艦島内にある「抗口」から真下に600mほど下がった後
三瀬まで海底トンネルを2.5km抜けて更に下に400mほど下がったところに
石炭がっ・・・・つらい、きつい仕事ですね。
坑内は気温30度、湿度95%。
いつ爆発が起きてもおかしくない状況だったようです。
なんか、もう。書きたいことが多すぎて紹介しきれないのですが
皆さんもう読み疲れしてきたと思いますので、軍艦島の話はここで終了。
今度書くときは軍艦島の「明るい側面」を書きたいと思います!
帰りの船より
長崎港の直前右側にそろばんドッグが見えます。
こちらも世界遺産!!
長崎港には世界遺産がたくさんあるんですよね~。すごい!!
こちらの船の情報を
行きも帰りも走行方向に向かって右側に乗ると
今見て頂いたような画像の景色が良く見えます。
2F席がお勧めです。
やまさ海運船員さんの説明も丁寧で分かりやすく、とっても良かったです!