先日佐賀市諸富へ行きました。
筑後川が流れていて、橋を渡ると福岡県大川市となります。
その橋のひとつが国指定重要文化財の
筑後川昇開橋
1935年旧国鉄佐賀線の鉄橋として筑後川河口に架設された
全長507mにもおよぶ東洋一の可動式鉄橋で、
筑後川をまたいで大川市と佐賀市諸富町をつないでいます。
列車通過時には、高さ約30mの鉄塔から可動桁を下げ線路をつなぎ、
それ以外は船の往来のため可動橋を上げる構造になっていました。
(上記文章、大川観光協会さまHP抜粋)
今は鉄道が走っていないので、遊歩道となっていますが、
ほとんどの時間は橋げたが上がっている状態。
1日に数回橋がつながり、反対側まで渡れるようになっています。
私が行った時間は橋が上がっている状態で、反対側までは渡れませんでした。
諸富に行った理由は別にあったのですが、
この橋を見た瞬間、なんともノスタルジックな気分になりました。
私が小さいころ、私の父は喘息の発作がひどく、体が弱いイメージでした(今は違います)。
私の母が大分県竹田市出身なので、お盆やお正月は(車で)竹田へ帰省していたのですが、
その帰り道、何度も父が運転できなくなるのです。
(この写真は去年私がひとりで竹田へ行った時に母の実家の庭を撮った写真です。
今は誰も住んでいないので、荒れ放題。)
その日もそうでした。
長崎までの帰り道。何度も病院に立ち寄り、最終的に福岡県大川市へ。もうこの時点で夕方。
このまま運転して帰るのは無理ということになりました。
(当時は高速道路が今のように全線つながっていなかった。)
私はそのころ小学校低学年。
でも、その病院の処置室の様子や
待合室で「巨人の星」(もちろん再放送)があっていたこと
大川市で結局1泊しなくてはならず父以外の家族3人で
川沿いの古い旅館に宿泊することになったこと。
そのお部屋がとにかく怖かったこと。
父がいなくて心細かったこと。
などをかなりリアルに覚えているのです。
だけど、私がその怖くて心細い体験の中で唯一テンションが上がったのが
翌日旅館の食堂にある窓から見た「筑後川昇開橋」だったんです。
「世界の橋」という図鑑でしか見たことがなかった昇開橋が目の前にある!!
私はかなり興奮していたのを覚えています。
(ちなみに母と姉は昇開橋のことを全く覚えていません。)
小さな私が、ガラス越しでみていた橋がこんなに近くにある!!!
時空を超えて、私の目の前に現れた昇開橋を見て、泣けてくる思いでした。
なんでしょうね、この感動は。
近くで見る昇開橋はものすごくキレイで大きくて
しかも筑後川がありえんくらい大きい!!
自然と人工の橋が奏でるコントラストがすごくきれいで、何時間でも眺められる気分でした。
多分私はこの日の景色を一生忘れないと思う。←最近多いなこのフレーズw
昔と今の自分がリンクする、不思議な感覚でした。