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てがみはと

長崎市南部さるく①


お休みの日。

ここ最近かなり精神的にお疲れモードの私。

ドライブに連れて行ってもらいました。

彼は、ものすごくマニアックで

色んなところに連れて行ってくれては、

薄っぺらく生きている私(知識のかけらもない私)に

沢山教えてくれます。

今回、教えてもらったこと全てこのブログに落とし込めるか不安ですが、

備忘録で書かせていただきます。

長いです。

 

まずは長崎市街地からほど近いココ

「長崎台場跡 魚見岳台場跡」

前から気になってはいましたが、

自分から行こうと思ったことはただの一度もなかったです(笑)

書いている説明文は

江戸幕府鎖国政策後、長崎港の防衛のため、まず寛永18年(1641)に港口の2か所に警備施設が置かれた。

承応4年(1655)には港の内外7カ所に、文化5年(1808)には新たに5か所に砲台が設けられた。

さらに、文化9年(1812)には魚見岳他3箇所に砲台が増設された。

これらのうち、魚見岳は石垣や石造弾薬庫等の江戸時代の遺構が良く残されており、当時の絵図に描かれた台場をしのぶことができ、海外との交流と緊張が絶えなかった長崎を代表する史跡として極めて貴重である。

と書かれています。

この地図を見て、もしかして・・・・と不安になった私ですが、

足を踏み入れるや否や、その予感は的中しました。

これ登山じゃない?

頑張って歩いたところで最初の台場(三ノ増台場)へ到着

すっごい景色良い~~~!!

女神大橋のビューポイントでした!

休憩もそこそこ次へ向かいます。

この辺でめまいがしました。

このまま登ったら倒れて逆に迷惑かけるのでは?と思ったくらい。

登山に次ぐ登山で次の台場

二ノ増台場に到着!

ここは疲れ切っている私でもテンションが上がりました。

石垣がすごくきれい!

これが江戸時代から残っている石垣なのかと思うと感慨深いですね。

きれいに切りそろえられた石がびっちりと積まれていて

この事業にかなりのお金が使われたことが推察されます。

さすが天領。長崎。幕府のお金ですからね。

あの奥にみえる倉庫が御石蔵

砲弾の保管庫になります。

あそこへ行くのは勘弁してもらいました。

さて次の台場へ・・・

一ノ増台場

私はあんまり石垣に詳しくないのですが、

彼は大興奮していました。(何度も来ているみたいだけど)

興奮ポイントは江戸時代の人々が崖から石を切り

ノミできれいに形を整えて(よく見るとその後がわかる)積んでいること。

まっすぐなラインで積む場所もあれば、カーブにさせているところもあって

そのカーブ部分はノミできれいに整えている。

そういうの見ると「やばーい」って思うらしい。

確かに言われてみると、その当時機械もなくすべて手作業でやっていて、、

何だかロマンを感じますよね。

一ノ増台場はなんと女神大橋と同じ高さ!!

ここまで登って来たんだと思うと感慨深い・・・

当時の大砲は200mの飛距離。

さらにこの高さから飛ばすことで、更に飛距離が出たのでは。

こちらの対岸にも台場があったので、一網打尽!出来たはず。

さて、こちらの台場の古地図がこれだそう

本当にこのままの姿で今も残っているので、かなり貴重な史跡だと言うことが分かります。

②に続く・・・

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