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長崎南部さるく②


魚見岳台場跡の後は

さらに車を南部方面に走らせて、現在開催中のこちらに行ってきました。

のもざき水仙まつり(2019年は1月6日~27日まで開催)

毎年この時期に、長崎半島の先端にある野母崎地区の「水仙の里」で行われています。

約1,000万本の水仙が咲くそうです。

空と海の青色に、白い水仙が映えてすんごいきれいです!

この日はあいにく曇りで風も強かったのですが、綺麗に晴れた日だとまた更に美しいだろうなぁ。

水仙の香りもただよっていていい感じ。

環境省の「かおり風景100選」にも長崎県内で唯一選ばれているそう。

そんな100選があったんですね、長崎県はここだけのようですが、

他の場所も行ってみたい気がします!

ちょっと不思議だったのがこれ

丘を登りきったところにあるこの4つのオブジェ(?)

一番上の部分に台座的なものがおいてあり、4つのオブジェの高さも同じなので

展望台だったのかな?と思ったのですが階段跡とかもなくて謎。

誰か知っていたら教えてください。

 

さて、お昼休憩の後向かったのはこちら

長崎市深堀地区

深堀は長崎市で唯一の「城下町」があった場所。

実は長崎市にはお城がないので、深堀に「城下町」があるって知ってびっくりしました。

(幕府直轄地だったからお城がない。長崎奉行を中心に町が形成されていた。)

深堀は江戸時代「佐賀鍋島藩」の領土でした。

その頃の居城を中心に武家屋敷などを整備した新しい城下町となったのです。

(長崎県の中には佐賀鍋島藩の飛び地が結構あります。「深堀」「島原」「諫早」「外海地区」)

ちなみに現在のサッカー日本代表監督「森安一」さんの出身地です!

 

深堀の町には「えびす様」が沢山います。

写真を撮らせてもらったのは、まちなかにあるえびす様なのですが、

民家の敷地内にあるものを含めると80体を超えるそう!!

深堀のえびす様の特徴はこのカラフルな色だと思います。

拝見していると、思わず顔がほころんでしまう可愛らしいお姿です。

(ちょっと遊ばれているんじゃないか?烏帽子に王って(笑)

でもそれくらい地元の方に愛されているんだなぁって思います。)

どうして、このようなカラフルなものになったかというと

深堀えびすは砂岩でできており、風化しやすく、多くは祠がないそうで、

明治時代の漁師たちが船を塗って余ったペンキを使い、風化を防ごうとしたのが始まりなのだそう。

そして、なぜ深堀にえびす様が沢山いらっしゃるかというのも諸説あるのですが

鍋島藩が「えびす信仰」が盛んだったかららしいです。

佐賀にはかなりのえびす像があるそうです。

(鍋島藩の飛び地だった諫早にも沢山あるそうです!)

 

深堀という地名になったのは鎌倉時代にまでさかのぼります。

上総国の (現・千葉)の三浦仲光は、承久の乱(1221年)で鎌倉幕府方として活躍した褒美に、

この肥前国彼杵庄戸町浦(現・深堀)を拝領。

地頭職として赴任し、姓・町名ともに深堀と改名。

その後、有馬氏から西郷氏、鍋島氏の支配下へと移行した。(一部、旅する長崎学から抜粋)

千葉の人が褒美にもらったのが深堀の地って!!と思わずつっこみたくなるけど。

江戸時代に鍋島藩となり、その居城としていたのが「陣屋」(城ではない)

現在陣屋の後には「カトリック深堀教会」があります。

この陣屋跡の石碑が建っているのは「カトリック深堀教会」の下にある

「深堀純心幼稚園」の前。

 

その陣屋の下に城下町が形成されました。この写真は武家屋敷の跡です。

今ではその姿はほとんど残っておらず、沢山の民家が立ち並んでいる一角にあります。

この武家屋敷付近、水路が張り巡らされていて、当時の名残を感じます。

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